道場六三郎と、言う人
人と、なり って言葉が、ありますが、一度だけ 東京 四谷で、 お会いした事が、あります
いつもより 無理して 江戸前の 寿司屋に行こうと 同業の友人と 行ったわけですが、
カウンターのはす向かいに 奥様と食事してました
お!……なんて 連れが、指差して、ヒソヒソと 話してたら 道場さん
僕らの話に気がついて、
ここの寿司は 美味でしょう。って話しかけてくれました 常連さんらしく
見かけない僕らに 穏やかな笑顔で
更には 何方からいらしたのですか?…と…
田舎もん ばれてるぅ!
九州と 沖縄です !
柄シャツ着てた僕が、沖縄人と思い込み
沖縄は あったかいでしょうと、
更に 写真でも 撮りますかって 向こうから
このブログの2011から12位に その記事あるはずなんですが、写真探せませんでした
プライベートで、食事してるんでしょ と こちらが気を遣う位 気ずかってくれました
なんか 一回で、ファンになる 穏やかな
厚みのある ある意味悟りを開かれたような 素晴らしい人でした
その人の記事を フェイスブックで、見つけたので ちと、転載しました

「“ここ一番”で踏ん張れる人間になれ」
神戸観光ホテルで修業したときは、往生しましたよ。
板長にいじめられたんです。
僕、仲居さんとのチームワークをよくしようと思って、彼女たちに気を使っていたから、けっこうかわいがられていたんです。
だから「ろくさんお願いね」って、何かと声をかけられる。
それは本来、板長とか上の人を通してもらわないといけないことだったから板長はおもしろくないわけです。
僕は当時20代前半。
向板(むこういた)という魚をおろす係をしていました。
それ以外に板場の進行役でもあったから、1日15、6時間は働きましたよ。
忙しいからなるべく早く調理場で準備したいのに、板長が意地悪をして開店の1時間前でないと調理場に入れてくれない。
準備にはどんなに急いでやっても、たっぷり2時間は必要でした。
僕は調理場を動き回り、いつも以上に「早く、きれいに」仕事をする工夫をするわけです。
そんな様子を見た先輩は、僕のことを「駆逐艦」と呼んでいました。
それでも板長は
「このボケ、遅いぞ」
と罵声を浴びせてくる。
せっかく作った料理も気に入らないとひっくり返される。
それが毎日毎日続くものだから、
「もうこの商売をやめようか」
と思うようになった。
僕は子どもの頃から辛いからといって、途中で投げ出したことはない。
それがこのときばかりは、真剣にやめようかと考えました。
でも、考え直したんです。
せっかくここまで修業してきたのに、やめてしまったらまた一から出直しでしょう。
ここが踏ん張りどころだと思いました。
そして
「どうやっても、もうこれ以上はできん」
というぐらいまでやってみることにしたんです。
「早く、きれいに。早く、きれいに」
と唱えながら、死に物狂いで仕事をこなしました。
どんなにいびられてもへこたれない僕を見て、板長のいじめも徐々におさまっていったのです。
あのとき頑張れたからいまの僕がある。
もし、苦しいことから逃げ出すことを選択していたら、ズルズルと落ちるところまで落ちていたと思う。
人生には「ここ一番」という踏ん張りどころが何度かある。
どんな分野でも一流と呼ばれるのは、そういう「ここ一番」の局面で踏ん張ることのできる人だよね。
二流は踏ん張れないから、いままで築き上げてきたものまでガラガラと崩してしまうんだ。
人間、一度でも崩れることを許したら崩れグセがついて、次の「ここ一番」も頑張れない。
出典元:『致知』1999年3月号 特集「一流と二流」より 道場旬皿
いつもより 無理して 江戸前の 寿司屋に行こうと 同業の友人と 行ったわけですが、
カウンターのはす向かいに 奥様と食事してました
お!……なんて 連れが、指差して、ヒソヒソと 話してたら 道場さん
僕らの話に気がついて、
ここの寿司は 美味でしょう。って話しかけてくれました 常連さんらしく
見かけない僕らに 穏やかな笑顔で
更には 何方からいらしたのですか?…と…
田舎もん ばれてるぅ!
九州と 沖縄です !
柄シャツ着てた僕が、沖縄人と思い込み
沖縄は あったかいでしょうと、
更に 写真でも 撮りますかって 向こうから
このブログの2011から12位に その記事あるはずなんですが、写真探せませんでした
プライベートで、食事してるんでしょ と こちらが気を遣う位 気ずかってくれました
なんか 一回で、ファンになる 穏やかな
厚みのある ある意味悟りを開かれたような 素晴らしい人でした
その人の記事を フェイスブックで、見つけたので ちと、転載しました

「“ここ一番”で踏ん張れる人間になれ」
神戸観光ホテルで修業したときは、往生しましたよ。
板長にいじめられたんです。
僕、仲居さんとのチームワークをよくしようと思って、彼女たちに気を使っていたから、けっこうかわいがられていたんです。
だから「ろくさんお願いね」って、何かと声をかけられる。
それは本来、板長とか上の人を通してもらわないといけないことだったから板長はおもしろくないわけです。
僕は当時20代前半。
向板(むこういた)という魚をおろす係をしていました。
それ以外に板場の進行役でもあったから、1日15、6時間は働きましたよ。
忙しいからなるべく早く調理場で準備したいのに、板長が意地悪をして開店の1時間前でないと調理場に入れてくれない。
準備にはどんなに急いでやっても、たっぷり2時間は必要でした。
僕は調理場を動き回り、いつも以上に「早く、きれいに」仕事をする工夫をするわけです。
そんな様子を見た先輩は、僕のことを「駆逐艦」と呼んでいました。
それでも板長は
「このボケ、遅いぞ」
と罵声を浴びせてくる。
せっかく作った料理も気に入らないとひっくり返される。
それが毎日毎日続くものだから、
「もうこの商売をやめようか」
と思うようになった。
僕は子どもの頃から辛いからといって、途中で投げ出したことはない。
それがこのときばかりは、真剣にやめようかと考えました。
でも、考え直したんです。
せっかくここまで修業してきたのに、やめてしまったらまた一から出直しでしょう。
ここが踏ん張りどころだと思いました。
そして
「どうやっても、もうこれ以上はできん」
というぐらいまでやってみることにしたんです。
「早く、きれいに。早く、きれいに」
と唱えながら、死に物狂いで仕事をこなしました。
どんなにいびられてもへこたれない僕を見て、板長のいじめも徐々におさまっていったのです。
あのとき頑張れたからいまの僕がある。
もし、苦しいことから逃げ出すことを選択していたら、ズルズルと落ちるところまで落ちていたと思う。
人生には「ここ一番」という踏ん張りどころが何度かある。
どんな分野でも一流と呼ばれるのは、そういう「ここ一番」の局面で踏ん張ることのできる人だよね。
二流は踏ん張れないから、いままで築き上げてきたものまでガラガラと崩してしまうんだ。
人間、一度でも崩れることを許したら崩れグセがついて、次の「ここ一番」も頑張れない。
出典元:『致知』1999年3月号 特集「一流と二流」より 道場旬皿
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